2024年の『三月の5日間』/佐々木敦

 チェルフィッチュの『三月の5日間』は、間違いなく私がこれまで最も何度も観てきた演劇作品である。といっても生で観劇したのは2006年の再演といつだったかの日本での再再演、そして2017年のリクリエーション版だけなのだが、その再演を記録したDVDを私はあちこちの大学や学校での演劇にかんする講義/講座で使っていて、本当に数えきれないほど繰り返し何度も何度も観直してきた。これは幾度も書いたり喋ったりしていることだが私は80年代前半からゼロ年代の半ばまで日本の演劇をほぼまったく観ておらず、あらためて演劇に強い関心を抱くことになったきっかけが他ならぬ『三月の5日間』だった。ご承知のように「三月の5日間」とは2003年の3月の5日間のことなのだが、同時にそれは私が2001年に自分のレーベルからリリースしたサンガツというバンドの「5日間」という曲名も示唆している(私がチェルフィッチュを知ったのはこのせいだった)。幾つもの意味で私にとっては非常に重要な作品なのである。あまりにも何度も観て、戯曲も何度も読んできたので、台詞レベルで記憶してしまっている。これは別に私の個人的な感慨とは関係なく、日本の現代演劇にとって、いや、「日本の」という限定なしの現代演劇にとって、『三月の5日間』がいかにエポックメイキングな歴史的傑作であるのかは、あらためて証明するまでもないことだと思う。

 『三月の5日間』をチェルフィッチュ以外の劇団が上演するのを観たのは7度が初めてだった。そもそもあまりカバー(?)されることがなく、昔、岡崎芸術座がやったそうだが、私は観れていない。岡田利規しか演出できないわけではないだろうが、戯曲の台詞を発話するだけでチェルっぽい口調になってしまい、そうすると劇自体もチェルっぽくならざるを得ないので、なかなか難しいのではないかと勝手に思っていた。それだけに初見でもあった7度の伊藤全記が、どうやってやるつもりなのだろうかと、興味津々でBUoYに赴いたのである。そしてそれは、今、すなわち2024年の12月に『三月の5日間』を岡田利規とチェル以外が再演するのなら、ああやるしかないし、ああやるべきだし、ああやったことに深くて強い意味がある、そう思えるアダプテーションに仕上がっていたのだった。

 ところで、授業とかで学生とかに『三月の5日間』のDVDを見せる際に常々思い、そのことを口に出してもいるのは、作品には必ずタイムスタンプがある、という言わずもがなの事実で、つまり『三月の5日間』なら「2003年3月の5日間の出来事を描いた物語で、2004年に初演された(が、これは2006年に再演)」ということ、そしてこれが肝心なのだが、再演であれ映像であれ、観直すたびに私たちはそこから遠ざかっていっている、ということである。もちろんこれは『三月の5日間』に限らぬ、演劇に限らないことで、過去のある時に誕生した何らかの作品に押されたタイムスタンプは、どんどん古びていくし、私たちがそれを観るのが常に「今」である以上、そこに刻印された「かつて」との距離はいやおうなしに開いていく。刻々と、不可避的に、不可逆的に。その距離を生き抜いた作品がタイムレスと呼ばれたりなんかして、それは確かに『三月の5日間』もそうなのだが、と同時にとりわけ『三月の5日間』のような特定の現実の出来事、年表に、ウィキペディアにも載っているような、要するにイラク戦争が始まって終わるまでの5日間のあいだ、ニッポンのトーキョーのシブヤでは互いに名も知らぬ若い男女がラブホで延々とセックスしてました、という物語のリアリティは、当たり前の話だがどんどん過去のものになっていかざるを得ない。この作品の上演は、ここをどう考えるのか、どう対応するのか、どう処理するのかがポイントである。ただ単に、過去の出来事を描いた過去の名作として遇するか、それとも、もうすでにかなり開いてしまった距離を意識して、何らかの仕方でそのこと自体を上演に取り込んでみせるか。伊藤全記が選んだのは、もちろん後者だった。そしてそれはかなり上手くやれていると私には思えたのである。
舞台写真
 伊藤は幾つかの大胆なアイデアを持ち込んでいる。まず、ひとり芝居であること。戯曲は(たぶん)ほぼそのまま使っているが、その全てを山口真由が演じる。最初にふらりと客前に出てきた山口は、これから『三月の5日間』をやりますと言って(それは戯曲の最初に書かれている台詞でもある)、作品の基本的な説明をして、戯曲本の宣伝をして、あらすじをあらかじめ話してしまったあとで、ふと自分の話を始める。それは東急井の頭線渋谷駅の岡本太郎の壁画前の大階段が急に平面に見えてきて足を踏み外しそうになること、2021年の緊急事態宣言中のことなど、話が次々跳んで、とりとめがないようでいて、それは先に述べた「距離」すなわち2004年と2024年の時差を意識させつついわば点で埋めるような作用を果たしている。そしておもむろに劇に入っていく。山口は最初は客前にいるが、話しながらゆっくり移動を始め、客席の外を周回してまた真ん前に戻ってくる。それが何度か繰り返される。台詞の発話も身体の挙動も、最初はチェルっぽさが多少は残っているのだが、次第にモノローグ性が立ち上がってきて、口語は口語なのだが、どこか現実から遊離したような、アングラ的と呼んでもいいような雰囲気を纏い始める。かと思うとまた台詞っぽさに、普通っぽさに、リアルっぽさに戻ったりもする。山口は極めてコンセントレイトされた演技を披露していた。私は場面も台詞も覚えているのであれが『三月の5日間』の初見だった観客がどう思ったのかはわからないが、いうなればそれは『三月の5日間』であって『三月の5日間』ではなかった。かといって2024年12月がそこに現前してあるというよりも(そこにあったのだが)、そこに浮上していたのはむしろ過去と現在の懸隔であり不連続な連続だった。今ここに繋ぎとめられているしかない上演という出来事の内に過去を潜在させる、いや、過去を生成する方法はひとつではないが、山口と伊藤は「なぜ今『三月の5日間』をやるのか」を終始問い直し続けることで、ともすればむしろ過去形に引っ張られそうになる上演を現在形に引き戻すことに成功していたと思う。
舞台写真
 では、なぜ今、『三月の5日間』なのか? その答えはあまりにも明白であるように思う。コロナ禍があって、その最中に、幾つもの戦争がまた始まったからだ。岡田利規が書いたのは2003年のイラク戦争、第二次湾岸戦争のことだった。その戯曲をほとんどそのまま使いつつ、7度が描いたのは明らかに今の戦争のことだったのである。というか、それはどうしたってそうなってしまうのだということに、伊藤と山口は徹底して真摯で誠実だった。真摯で誠実であるがゆえに、それはいくぶんか『三月の5日間』という当の作品に対して批判的にさえ見えたのである。あの頃はなんとも暢気だったね、と。

 戯曲を引用するが、たとえば第五場で男優4(デモに参加しているイシハラ君)はこんなことを言う。

この前すごい公園通りのほうとか行くとディズニーストアとかあるんですけど、この前店の前で、店の入口がガラス張りじゃないですか、そこの前に立って、イスラエルがアラブ人をすごい虐殺したっていう話があるんですけどその子供の死体とかの写真を店の中に見えるように持って店の中に見せるっていう、すごい顔とかがぐちゃぐちゃになってる、わーえぐいなーっていう写真なんですけど、しかも拡声器でなんか、良い子のみなさん、みなさんと同じくらいの歳の子供達がアラブではたくさんこんななってます、みたいなことをすごい聞こえる声で言うっていう、しかもえぐい写真付きっていう、それで店の人とか超っ早で裏から出てきて、すいませんほんとやめてくださいって女の人が半泣きになってるんですけど、あなたが泣いても子供の命は助かりませんっていうことで、ますます死体の写真ぐいぐい見えるようにアピール、みたいな、 拡声器のボリュームさらに倍、みたいな、アツいなーっていう展開があったりして、わー容赦ねーっていう、



 正直に言えば私は、観ながらここは台詞を一部変えているのではないかと思ってしまっていた(覚えていると言ったくせに)。だが、そのまんまだったのだ。だが、イシハラ君はまるで2024年の人みたいだ。

 また、第七場で男優3(ラブホに連泊するミノベ)はこう言う。

俺、神戸の地震あったとき高1だったんだけど、なんで俺こんなとこでうんこみたいな授業聞いてて、すごい俺、今、悪いことしてるんじゃないかってすごい思ってたの、すごい今、思い出してるんだけど、


俺イラク戦争あったとき二十五だったんだけど、俺なんでこんなラブホでうんこみたいな、セックスしてるんだろうってすごい思ってるんだけど、



 つまりミノベはおそらく1978年生まれであり、だとしたらもういい年のはずだ。今や50近い中年男の彼は2003年の「三月の5日間」のことを覚えているだろうか? 彼は今の戦争のことをどう思っているのだろうか? 私は7度の『三月の5日間』で最も強く記憶に残ったのはこの二つの場面だった。あの時、ミノベはすでに「イラク戦争あったとき」と過去形で話していたのだ。だがそれは過去にはならなかった。

佐々木敦(批評家)

HEADZ主宰。SCOOL共同オーナー。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。劇場創造アカデミー講師。早稲田大学非常勤講師。立教大学兼任講師。著書多数。