ずっと気になり続けている演出家の伊藤さんから劇評を書いてほしいとい依頼があったのは昨年(2024年)12月のこと。今年の2月、僕が自身のプロジェクト“いきつく/ikituk”でシンポジウムを開催した際、伊藤さんにゲストスピーカーとして登壇してもらえないかとお誘いをしたそのやり取りの中で、「実は……」と逆に依頼をいただいた。早速、前半の1000文字を書き、そして止まった。今年の5月までに公演の準備が3つ、そしてシンポジウムが3プログラム。あたふたと自分のことで手いっぱいになっている間に日々は過ぎていった。伊藤さんをお待たせした日数は半年をゆうに越え、その間に7度は第15回せんがわ劇場演劇コンクールで演出家賞(伊藤全記)、俳優賞(山口真由)、そしてグランプリを受賞した。おめでとうございます。季節は三つ目を迎えた。そして今、頭の片隅に居続けた「7度版『三月の 5日間』の劇評」をお渡ししようと、僕はやっと後半を書いている。大丈夫、当時の上演の様子はくっきりと覚えている。あの空間の鋭く尖った感触は今も、これからも残っていくだろう。
▶︎チェルフィッチュ『三月の5日間』を見たのは2017年のKAAT神奈川芸術劇場が初めてだった。同演目は初演から14年を経て、20代の若者を出演者としたリクリエーション版として上演された。床面に描かれた白線と頭上に浮かんだオブジェ。劇場に足を踏み入れた瞬間から、見るものの想像力を掻き立てる舞台空間と、7人の俳優が入れ替わりながら、時折見せる奇妙な身体の動きとともに“うだうだ”と話す姿は、今もありありと覚えている。個人的な体験でいえば、真後ろの観客の騒音に苦しんだ記憶が強い。おそらく何かのレポート課題だったのだろう上演中にiPadでメモを取り、スタイラスペンをディスプレイに「カッカッカッ」と当てていた。それがちょうど耳元に聞こえてくる環境だったのは辛かった。一方で、メモを取るその人にとっては、騒音を立てながらもメモが止まらないほどの上演だったという、他者の熱狂を感じられたのも確かだった。
その『三月の5日間』を7度が上演した。演出は伊藤全記さん、出演は山口真由さん。本来、登場人物が7名という戯曲をテキストレジ(テキレジ)し、山口さんが1人で演じた。BUoYの中に入ると、ブルゾンとスパッツ、印象的なオレンジ色のスニーカー履いた俳優の山口真由さんが、開演前から入口付近で軽く揺れていた。足を伸ばしたり肘を伸ばしたりしている。メインステージとなる場所には、背の高いサイドテーブルがあり、その上に置かれたオイルタイマーの中で赤い油がとどまることなく浮き沈みしていた。

第一声は場内アナウンスと同じトーンでとりとめもなく発せられた。「これから、『三月の5日間』を始めたいと思います」。山口さん独特の、唇を開ききらないややくぐもった発声で、言葉が丸みを帯びて届く。本編と地続きの前説があり、そこではチェルフィッチュや岡田利規さんへの感謝も述べられる。上演されるものは戯曲の全てではなく抜粋であることもここで示され、本編へと流れていく――。イラク戦争がはじまり、渋谷駅前でデモが起きている3月20日のことだ。その光景を目撃していたユッキーとミノベくんがラブホテルで5日間過ごす中でのそれぞれの視点と、渋谷で行われているデモ行進に参加しているイシハラくんとヤスイくんの話。名前の出てくる4人はそれぞれの視点で語られる。特筆すべきはテキレジで前半部分と、登場人物が数人、丸々カットされているところだろう。前説の存在が戯曲のカットがもたらす違和感を払拭させる働きをしている。この部分は7度オリジナルであるかもしれないと思い、演出の伊藤さんに聞いてみたところ案の定オリジナルとのこと。7度のフェルフィッチュ的な言葉から岡田利規さんの言葉に接続される感覚もとても気が利いていた。
頭の片隅で、横浜で体験した上演をなぞりながら言葉を思い出しながら、同時に目の前で山口さんひとりで上演される語りの、ほとんど声音を変えないけれども人物を聞き分けることができるという繊細な演じ分けは実に刺激的だった。出演者が一人であるということは、他に誰も出てこないという、演じ手と観客相互の了解が半ば強制的なプレッシャーを生み出すことでもある。たった一人の出演者が受け入れ難かったらどうしよう、などと考えたりするのだ。そういった緊張を山口さんは前口上で解きほぐす。また、岡田利規のテキスト自体、話者の存在そのものを前景化させるもの(と自分は感じている)なので、出演者が何人であろうと揺らぐことのないのだと再認識させられた。
▶︎ただ、7度版の演出はテキストの強度に匹敵する精度を持っていたように思う。特に、山口さんがメインアクトを行う場所を下手から離れ、客席の背後を回って上手より戻ってくるシークエンスでは、セリフの展開と山口さんの移動・歩幅が精密にコントロールされていた。会場であるBUoYには入って左手にかつての浴場があり、小さな段差が存在する。山口さんはその段差を降りる時に、特定のセリフをきっかけとしていることが(決してわざとらしくなく)わかる。このきっかけの取り方は、通常の演劇では俳優には全く優しくない。移動の冒頭にある段差越えのきっかけであれば比較的容易にコントロールができようものだが、その段差を降りるのは、客席を大きく回り込んだ終盤なのである。どのセリフでどの位置にいるのかをあらかじめ把握し、身体を把握して制御していなければ成し得ない。何度も上演を繰り返す演劇という形態ではエラーとリカバリーも想定しながら稽古を過ごしていくが、緊張感あふれる今回のような演目では些細なミスも観客に伝わってしまうため、ある程度のたわみを持たせていた方が観客の没入度を削ぐ原因を減らせるために有効だったりする。しかし、伊藤さんはたわみを作らない。ギチギチの制約を課した中で山口さんの身体を観客の前に差し出すことを選択していた。そこに大きな驚きがあった。
今は無くなってしまったこまばアゴラ劇場で上演した『胎内』(2023年12月/7度)では、精神的な制約は大きい一方で、身体的な制約はもう少し山口さんの裁量が多かった印象だったが、今回の上演の移動には、強い演出の意志を感じた。

そういえば私が伊藤さんと初めて出会ったのは鳥取にある鳥の劇場であった。私が鳥の劇場の中島諒人さんが主催する演劇塾に参加した際に、滞在制作をしていた7度の二人が見学に来たのだ。そこで二人が制作していたのはSCOTサマーシーズンおよび鳥の演劇祭参加作品だったと記憶している。SCOTの鈴木忠志さんは農耕的な強い下半身を持った俳優の身体を養成している。7度の山口さんからもその強靭な体幹と下半身が感じられる。いわゆるフラフラと存在のままならなさを体現した“現代的な”身体とは真逆の、短くない年月を経て鍛え抜かれた身体を有する、その身体の強さが演出のオーダーに応答する根拠ともなっていると感じた。
もう一つ、強く印象に残ったのは、暗転の強さだ。山口さんが客席の背後を回り段差を乗り越え、床に足を着くか着かないか。その瞬間に、文字通り“バツンッ!”と音を立てて暗転する。その暗闇がまことに暗闇で息を呑んだ。観客としては山口さんが着地をした瞬間を目撃できていないため、暗転中は、いつまでも宙に浮いたままの山口さんの残像が脳裏に浮かび続ける。暗転が強烈な舞台装置として作用していた。その根源的な提示方法、その演出の鋭さに心がざわついた。
演劇とはなんだろう。セリフがあり、演じる身体があり、演じるための場所があれば演劇になるのだろうか。観客の想像力はどのように働くのだろう。目の前の出来事から観客はどこまで逸脱できるだろう。もしくは目の前の出来事にどこまで没入できるだろう。語られるセリフはその世界では真実なのだろうか。騙っていはしないか。身体の動きは計算され演出されたものか、俳優の生理ではないか。そんなことを考えながら演劇を見るのが好きなのだが、この7度の『三月の5日間』では、北千住をうわ塗りするように渋谷が語られ、私は北千住にいながらも渋谷のスクランブル交差点や円山町の路地にいた。そして俳優は一人であるのに語りによって二人にも三人にもなる。あるのになく、いるのにいない。それはまさに能や演劇が取りあつかえる大きなモチーフの一つ、幽霊的でもあるのではないか。何かその眼前に提示される掴みきれなさと、語られるイラク戦争と怠惰な数日の対比が、こちらの思考をかき乱していた。極めてタイトな演技と照明と舞台装置と音。それらがもたらす想像の情景の可能性にひどく心を打たれた。しれっとやってのけているように見える7度の二人。言葉の扱い方や身体のあり方、場の演出に関して、テキストに負けぬ無二の強度を見た。
感じたまま取り留めもなく書いてしまった。果たして劇評と呼べるものになっているのかわからないが、少しでも7度の上演にはどのような見所があったのかが伝われば幸いである。まだ見たことがない方は、ぜひ機会を作って、7度が、演劇とどのような関係を作って上演創ろうとしているのか目撃して欲しい。それから、伊藤さん、大変お待たせしました。当時の僕の興奮の少しでも感じてもらえたら何よりです。
僕はあの日、劇場から駅までの道が、渋谷でないことに大変戸惑いながら歩いていたことを覚えている。
演劇カンパニー「ほろびて」主宰。「陥ってしまった、もうどうしようもないような過酷な現実」を、演劇的に、二次的に語っていく。超現代口語劇や不条理劇など作品により手法を変えながら、暴力や、社会の構造からこぼれ落ちている人々を見つめ、言葉を模索する過程を重視し、リサーチを丁寧に重ねながら作品を創作している。第11回せんがわ劇場演劇コンクール「グランプリ」「劇作家賞」。セゾン文化財団セゾン・フェローⅡ(2022-2026)。