招かれた者たちによる伝達の可能性(島口大樹)

1990年代からの「30年を今一度、上演を通して見つめてみる」試みとして、『無名なる「わたし」の文化史』と銘打たれた7度による企画の第1弾は、2024年に上演された岡田利規作『三月の5日間』であった。前作についても劇評を認めたので詳述は避けるが、7名の役柄が登場する戯曲を適当に省略し、それでも本来であれば5名の役柄に振り分けられるはずの台詞を、7度のメンバーである山口真由が一人で請け負い、そのたったひとつの身体(からだ)で上演をしてみせる、上演の上演とでも呼ぶべき様相を呈す作品だった。

その第2弾として、『東京ノート』を上演するのだという。計20名もの役柄が登場する戯曲を、今回は、二人で。会場は前回と同じく、北千住にあるアートセンターBUoY。かつて銭湯であった地下は、剥き出しの壁面や水道管など、廃墟の趣を無骨に晒したスペースとなっており、前回は浴槽やシャワーなど当時の面影を残す空間も舞台の一部だったが、今回は二面の壁が接地しているだけの一角が舞台となる。装置は何もなく、二面の壁にはそれぞれ、原田裕規の映像作品である「One Million Seeings」(2019/2023年)が開場中から流されている。

原田の映像作品について、簡単な説明を加えたい。俗に、ファウンド・フォトと呼ばれるものがある。フリーマーケットや蚤の市で目にするような、撮影者が不明である、同時に、そこに写っている被写体もまた誰なのか不明であるような写真のことを指す。これまでの歴史の中で芸術家たちは、そんな写真を自身の作品に取り込むような制作を行ってきた。そうすることで、「無名なる」者たちが、その営みが、今現在に回帰する。大きな物語に、正史の影に隠れていた者たちの存在が、今現在において立ち顕れる。そんな事態に芸術家たちは何かを見出そうとしてきたのだが、そこには同時に、植民地主義的な手つき、眼差しも孕まれてしまう。誰かの存在や営みを許可なく、撮影者も被写体も誰かわからないのだから正に有無を言わさず、自身の作品に奉仕させてしまうことは、搾取に他ならないのではないか。そんな懐疑を抱いた原田は「One Million Seeings」を制作した。いや、挑んだ。それは、原田自身が数多のファウンド・フォトを24時間見続けるという、パフォーマティブな映像作品だ。従来のファウンド・フォトの扱いに批判的でありながら、けれど実際の問題として、市場価値も歴史的価値もない写真群は廃棄され、捨象されてしまう運命にあるのだから、原田はただそれらを見過ごしてしまうのではなく、かといって単にそれらを用いた作品を制作するのではなく、一枚一枚の写真と身を削って向き合うという、態度までをも作品に組み込んだ。

私は座席に着き、開演まで、じっとその映像を眺めていた。かつて、どこかにいたはずの人々を、それを証かしてくれる写真を見つめている(であろう)原田の手元の映像を、私もまた見つめ続けた。原田の作品を介して、私が眼にすることになる写真が存在をはじめる為には、シャッターが切られなければならなかった。だから、原田や私のように、写真に写っているその誰かを見つめていた人もまた、写真には写っていないだけで、確かにそこにいた──。

東京ノート公演写真撮影:水本俊也

時間になると山口が現れ、前口上を始める。途中から山田裕子も登場し、『東京ノート』についての簡単な説明が施されていく。青年団を率いる平田オリザが書いた戯曲であり、1994年に初演を迎え、翌年には第39回岸田國士戯曲賞を受賞したことや、そのあらすじ。近未来の(と言っても今現在からすれば過去の)東京にある美術館のロビーが舞台であり、ヨーロッパで起きている戦争の被害に遭わないよう、まだ安全圏にあるそこに、絵画などの美術作品が運び込まれていること。その場を訪れた20名にも及ぶ人々の会話が主な内容であること。今回は二人で上演するため、かなり違った形になることをご容赦ください、と二人は頭を下げ、私は思わず笑ってしまう。だから二人はまだ、それぞれ山口と山田として舞台に立っている。

前口上は続く。山口は『東京ノート』の背景と重なる、1991年の湾岸戦争、1992年のボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争について触れ、同年、PKO法が成立したことを告げる。そこから話は大胆に飛び、自分の中にまだ住人がいると認識しているかもしれない空き家について、連絡を取らなくなった友人について、山口の一人語りは止まらない。かつての友人の番号に電話を掛けたとしても、彼女はもう、そこにはいない。けれど、たとえ別の番号に掛けたのだとしても、同じ呼び出し音を聞いたときには、自分でもあずかり知らぬところで心か身体かが反応して、友人と話をしようとしていた昂ぶり、そんな当時の感覚が蘇るのではないか。そこで、「山口さん」と山田が遮り、山口は「なんですか山田さん」と丁寧に名を呼び合う。「そろそろ準備をしたいんです」と山田が言って二人は、よろしくお願いします、と互いにお辞儀をし、山田が捌けていく──山口と山田としてはもう、対面しないことをこちらに伝えるかのように。

一人になった後も山口は続ける。フリードリヒ・キットラーの小説の話。音の振動である声は、どれだけ微弱になっても何百年後にだって漂っているから、それを増幅させることができれば、ゲーテの声だって復活させられる、といったその内容。自身が首から提げているカメラの内蔵メモリが、スマホの写真のデータ量で換算すると8枚分しかないという話。そして今回の上演は戯曲の途中から始まることを告げ、当該シーンの説明が続くのかと思いきや、山口の語りはそのまま台詞へと滑らかに連なっていく。

楽にして聞いてください、と始まった長きにわたる前口上では、『東京ノート』を知らない観客への足掛かりや、空き家という──BUoYもまた性質を共にする──空間、もう会わなくなった友人、漂っているはずの声の残響といった、今回の演出への理解に繋がるのであろう事柄が提示され、そして同時に、山口と山田それぞれの身体から、それぞれの個が払い落とされていく過程を眼前にする。最初に二人が二人として登場することでかえって、続く本編における個と身体の関係について妙に意識される。山田は、いや山田の身体は、どのような存在として再び舞台に上がるのか。そして前口上の間、二人に、途中からは山口に、眼を向けながらもしばしば、私の焦点は原田の映像作品に合っていた。数多の写真が、そこに写った名も知らない人々が、絶えずこちらに流れ込んでいた。私が知らないだけで、そこに、かつて、いた人々。その情報の過剰さは、眩暈の感覚さえ呼び起こし、前口上で語られた内容も相まって、私の想念は既に、過去へ過去へと押し流されていた。

本編が始まるとまず、山口は舞台をゆっくりと横切りながら、戯曲の台詞を、いつかどこかで上演されたはずの言葉をその身に宿し、発話していく。カメラ・オブスキュラについての説明が為される。「レンズを覗くと、世界が全部見えるような、そんな気になれた、まあいい時代だったわけです」と山口を通して誰かが十七世紀についての所感を述べる。

「どうぞ、こちらに」「はい、すいません」「あの、ここ、よろしいですか?」「ああ、どうも」

そんな会話の断片を繰り返し発しながら、山口は客席の間を抜け、その背後にあったのであろうパイプ椅子を舞台へと運び、無造作に並べていく。この時点では、パイプ椅子が二つ、それぞれの映像の前にぽつねんとあるような状況である。それから山口は舞台を歩き回りながら、戯曲から切り離され、無理に継ぎ接ぎされたような言葉、取るに足らない雑談、演じ分けも為されない会話を一人淡々と口にしていく。

東京ノート公演写真撮影:水本俊也

山口の声に耳を傾けながら、私はじっと空席のパイプ椅子を見つめていた。そして、先の「どうぞ」といった会話の断片を想起する──招こうとしているのだ、とはっとする。この場に、この演劇空間に、誰かを招き入れようとしているのだ、と感受する。原田の映像作品は絶えず流されている。私にはそれが、集合的無意識の走馬灯のようなものに見えはじめる。山口は、かつてどこかで発されたはずの声をその身に宿しながら、だから自身が憑座の役目を引き受けながら、ここにはいない人、もしかするともういなくなってしまった人を、呼び出そうとしているのではないか。そう考えたのが先か、あるいは後から言葉でそう思ったのか、どちらにせよ、私はその空席に、自分がもう会えなくなってしまった人が座っているような気がして、そう確かに実感して、思わず胸が締め付けられた。

それは、必ずしも死者を意味しないのかもしれない。皆それぞれに、音信が取れない、あるいは取らない誰かがいるだろう、(同じ電話の呼び出し音を聞いて思い出されるだけの)生死がわからない知人もいるだろう。逆に言ってしまえば、私たちはこの関係性の網目が広く複雑に張り巡らされた世界の中にあって、誰かにとっては死者として振る舞っている、と言うよりその様さえ感知されず、あまりに広範に死者であり得る。

二つのパイプ椅子を残して山口が一度捌けた後、前口上の最中、山田として退場していった山田の身体が再び現れる。ゆっくりと歩を進め、原田の映像作品の前で足を止める。再び会話を一人で発しながら現れた、憑座となっている山口の身体とは打って変わり、山田の身体はそこにじっと立ち、押し黙ったままだ。暫くの後、山口は再び客席の背後からパイプ椅子を運びはじめ、山田はもう一方の映像の前へと移動し、パイプ椅子に腰掛ける。二つの身体は別の層にあるように感じられる。山口が過去の者たちを招き入れようとしているのであれば、山田はその過去の誰かの表象としてそこにいる。今世を過ぎ去っていった者たちを惜しむかのように、山田は原田の映像作品をひたすらに見つめている。山口は山田がいなくなった方の映像の前に雑に並べられた幾つかのパイプ椅子に向けて、カメラを構え、シャッターボタンを押す。フラッシュが焚かれる。そこには何が写るのか。原田の映像作品の中の写真のように、かつて、そこに、いたはずの誰かが写り得るのか。やはり、既に、そこにいるのか。山田が一度退場した後も、山口は会話の断片を発しながらパイプ椅子を運び続ける。

「あの、もう少し、ここにいて、いいですか?」

そんな山口の声を、私はもう、単に戯曲に書き込まれただけの、過去の誰かの発話だとは捉えられない。パイプ椅子を運び込み、席を用意することによって、招き入れようとした誰かの声に、もしかするとその対象であるかもしれない、山田の身体が表象しようとしている何者か、そんな人物の声に聞こえてならない。

東京ノート公演写真撮影:水本俊也

「名前が変わるんですね、時間で、場所が。あれ? 場所が、時間で?」

美術館に併設されているという、時間帯によってティールームともレストランともなる施設への些細な言及も、ただそれだけの意味には取れない。この演劇空間が、物理的制約を断ち切ろうとする志向を持つことの、あるいは強めていくことの表明だと感じられてならない。山口によってパイプ椅子が続々と並べられていくこの時空間、二面の壁に映された、ファウンド・フォトを原田がひたすらに眺めている(であろう)二つの時空間、そしてその映像の中で、次々に現れては消えていく写真に写された幾つもの時空間の、それぞれの境界は揺らぎはじめる。過去の幾つもの時空間は今現在へとなだれ込み、それらは私の眼前に重ねられる、重なって在りはじめる。

ヨーロッパにおける戦争──武器の製造など、日本も無関係ではない──についての会話の断片を、山口が発しながらパイプ椅子を運ぶ中、客席の背後から、「戦争はんたーい」との声が断続的に聞こえはじめる。山口が捌けているときには、無人の空間にそれが響く。山田の声であることは窺えるが、先述の通り、その身体から既に個は滑り落ちている。誰が、どこから、どこに向けて、声を発しているというのか。こちらに呼びかけようとしているのか? そしてただの一度だけ、憑座である山口と、誰かもわからぬ山田の、「戦争はんたーい」との声が重なる。別の層にいるはずの二人が同じ文言を発して、その計画的であるはずの倍音に、快とも不快ともつかない感慨が湧く。

そして徐々に舞台は暗がり、再び山田の身体が登場する。原田の映像作品が光量を増していくように見える中、今度は舞台が青紫に照らされる。平和維持軍に参加することを決めたという人物の台詞を山口が発した時、山田は「戦争はんたーい」と一際芯の通った声を出す。

「僕のことですか? だって、しょうがないじゃないですか」「……本当にしょうがない?」「えぇ──。……本当にしょうがない? えぇ、じゃ、ま、気をつけて」

そこで青紫の照明が切られ、元の明るさへと戻り、同時に、いつからか止まっていた原田作品の環境音──消防車のサイレンや車の走行音──が再び流され、緊張感が解けていくのだが、ここで重要なのは、舞台上の二人は厳密には会話をしていた訳ではない、という点だ。上記の最後の山口の発話は、二人の役柄の応答を一人で発している。つまり、たまたま山口と山田の二人がやり取りしているように、シンクロしているように感じられるだけで、山田の発話を、山口は聞き取っていないということさえあり得る。二人は目線を合わせていたようではあったが、実際は知れない──。

東京ノート公演写真撮影:水本俊也

この演劇空間に過去の時空間が重ねられようとも、過去の誰かの象徴としての山田が語りかけようとも、山口はそれを聞き逃し得る。それでも私たちは、そこで会話が為されたと錯覚する。過去の時空間を精妙に舞台へ乗せようとしながらしかし、過去の誰かと現在の誰かとの──あるいは彼岸と此岸との──交感が、安易には達成されないことを際どくも表出していくことに、この上演は賭けられているように思われる。能の舞台が端から彼岸と此岸を重ね合わせることに与しているのだとすれば、この上演は、それが──現代においては──いかにして成立し得るかを検証しているようである。

山口はまた誰かの雑談を、人の死を軽く扱うような会話を発した後、退場していく。原田の映像作品の前でパイプ椅子に腰掛けていた山田は、こんなことを語る。「サン=テグジュペリが死んでから、今年でちょうど、六十年だって 地中海で飛行機に乗って死んだんでしょ、あの人、戦争で」「六十年くらいじゃ、人間は進歩しないね。全然ダメだね」その途中から山田の視線は、二人の眼が合ったように見えた時、山口が立っていた辺りに向けられている。まるで山口が、だから今世の私たちが聞く耳を持たないことを、私たちの鼓膜がその声を拾わないことを、嘆くような響きがそこにはある。

山口はまたしてもパイプ椅子を持ち出しはじめ、その間、原田の映像作品は白んでいく。気付けば、陽光が燦燦と降り注ぐ窓のように白く発光している。一度捌けていた山田も再び舞台に登場し、矩形の光の前にじっと立ち尽くし、語りはじめる。フェルメールの絵に描かれる人物は皆、窓の方を向いていること。そうして光があたっているところばかりを誰もが切り取りたがること。ここでもまた、山口と山田の発話は奇妙に、しかし計画的にシンクロする。が、それは先のような、過去から現在への伝達不可能性には着地しない。その証拠に、何かが伝わったことを感じたのか、山田は山口に一礼してから舞台を去っていく。どうしてか? 何が変わったというのか?

東京ノート公演写真撮影:水本俊也

山口はここまで、或る家族間で交わされている(のであろう)会話を多く語ってきたが、山田の先の語りの前に山口は、義理の姉に対して、彼女の弟の不倫を嘆く妻の台詞を発していた。そして山田が去った後には、兄や弟らが上京していった一方、実家の様々を一任されているらしい姉の、「撮りまーす」という──身に染みついているのであろう遠慮の作法によって、集合写真の撮影者に回るいじらしい──台詞を山口が発したところで、舞台は青く照らされる。山口は台詞とは裏腹に首から提げたカメラを使わず、その代わりとでも言わんばかりに、壁には再び原田の映像作品が映される。

光のあたっているところばかりが描かれているという、フェルメールの絵画と同様の性質を写真も持っている。と言うより、カメラとは原理的に、外の光を一枚の映像として写しだす装置なのだ。光こそが写真の正体に他ならない。男女間、また家族間においてもたらされる不均衡は、ここで撮影者と被写体の関係にスライドされる。原田の映像作品に登場する数多のファウンド・フォト、そこにさえ写っていない人物、つまり私たちが決して見ることのできない撮影者らの存在が暗に言及される。「無名なる」存在としてさえ、この世界のうちに記述されなかった人々。

それは何も、男女間、家族間における不均衡を被るような彼女ら、ファウンド・フォトの撮影者らを指すに留まらない。東京の美術館のロビーで会話をする人物たちの眼には、ヨーロッパでの惨状など、そこで命を落とした人々のことなど見えていない。写真は(基本的には)撮影者がただ単一の人間であることしか証かさないのだし、戦争もまた、いつだって人から固有名を剥奪し、数字に堕してしまう。山口が撮影者となることを買って出る女性の声をその身に宿すことは、ただでさえ引用されない過去の、もしかすると戦禍の記憶の、更にその光のあたらない場所に降り立つことだったのではないか。それ故、山口の身体と山田の身体の間に、疎通の身振りが垣間見えたのではないか。舞台上に幾つもの時空間を重ね、しかし安易な伝達可能性に寄りかからず、「無名」とさえ形容されない人々の間に、結び得る紐帯によって過去から現在へと何事かを受け渡していく、この上演はその血路を見出そうとしているのではないか。

青い照明の中、これまでと同様、山口が会話の一人語りを続けながらパイプ椅子を運ぶ。それらは相当の数になり列を為しているが、決して丁寧に並べられてはおらず、置き場所がなくなり廃棄されたかのように乱雑なあり様だ。山口がそこに向けてカメラを構え、シャッターを切ったところで舞台は暗転する。原田の映像作品のみが光源となる。影となった山田はいつからか舞台手前を横切っており、またしても会話が為されているかのように、あるいは既にそれは可能になったのか、二人の声がシンクロした後、山田は扉を開いて退場する。そこから光が差す。過去の時空間が重ねられた演劇空間の、外部が確と示される。今現在のここは歴とした暗箱と化す、世界が収斂している。そしてその光の筋をなぞるかのように、同方向から強い照明が当てられ、パイプ椅子が金属的に煌めき、それらが幾つも重なった大きな影が壁面に、原田作品に投影される──影は、だから光も容易く、異なる時空間を貫く。

並べられた、と言うより雑に置かれた多くのパイプ椅子は、私の眼には依然として空席ではあるが、山口がその声を宿した数々の人物、原田の映像作品によってこの空間に流れ込んだ数多の人物、匿名の過去から招かれた、「無名」とさえ形容されない人物、私たちがそれぞれにもう会えない人物が、やはりそこにいるのだろう。が、彼ら彼女らに用意されたはずの席も、きちんと準備が整えられたものではなく、廃墟の様相の最中にある、破砕された過去の瓦礫の中にある。

東京ノート公演写真撮影:水本俊也

そして山口は、原田の映像作品を映していた二つのプロジェクターを一つずつ消していく。この暗箱に差し込む、(仮想の)外からの光だけが舞台を照らしている。山口が言葉を発さなければこの空間もまた沈黙するが、山口が山田の声を聞き逃したかもしれない時のように、私の鼓膜が捉えられないだけなのだ。過去の人物たちの、今も続けられているかもしれない囁きを、お喋りを、訴えを。

「はーい。撮りまーす」

カメラを構えた山口がそう言って、パイプ椅子の列に向けてシャッターを切る。フラッシュが焚かれる。唯一の光源となった一方向からの光も、徐々に弱まっていく。「撮りまーす」と再び山口の声、またしてもフラッシュ。瞬間、閃光が走ってパイプ椅子の列が、無骨な壁面がこちらの網膜に焼きつく。「世界が全部見える」ように錯覚させるレンズであろうと、撮るのが人である以上、そこには必ずや偏りが孕まれる。眼を向けられてこなかった者たちは、この世界のうちに記述されなかった者たちは、山口の撮る写真に写るのだろうか。ここへ来て遂に、写像として今現在に立ち顕れるか。しかし、前口上で山口は、その首から提げたカメラは8枚分しか撮れないと話していた。今は何枚目か? 過去の時空間が重ねられたこの場所で撮影される写真は、そもそもきちんと記録されるのか?

私は知っている。上演が終われば、自分がこの暗箱を出て、家路に着くことを知っている。他の観客も、それぞれにそれぞれの日常へと戻っていく。では、この演劇空間に呼び出された者たちは? 写像にさえならないかもしれない者たちは?

「撮りまーす」

寸刻の後、フラッシュが焚かれるだろう。辺りは一度、照らされるだろう。その時、私の眼は誰の姿も認めないだろうか、私の鼓膜は誰の声も拾わないだろうか。ファウンド・フォトに向き合い続ける原田の映像作品が、自身の態度をも盛り込んだものであるのなら、この上演は、観客が暗闇のうちに、そして閃光の刹那に、もういなくなってしまった人々をいかに具体的に想像し得るか、見ず知らずの過去の誰かとどうすれば交感し得るか、どう対峙し得るか、そんな倫理的な態度の検分を迫るものだと言えるだろうか。そんな考えを巡らせることになる終演まで、最後のフラッシュがこの空間を光で充たす瞬間に向けて、私はかっと目を見開いていた。

島口大樹(小説家)

1998年、埼玉県生まれ。2021年、「鳥がぼくらは祈り、」で第64回群像新人文学賞を受賞しデビュー。同作が第43回野間文芸新人賞候補となる。22年、「オン・ザ・プラネット」が第166回芥川賞候補に。25年、『ソロ・エコー』で第42回織田作之助賞を受賞。著書に『鳥がぼくらは祈り、』『オン・ザ・プラネット』『遠い指先が触れて』『ソロ・エコー』、内山拓也監督の映画『若き見知らぬ者たち』の小説版がある。