7度が今度は『東京ノート』(平田オリザ原作)を上演するという。その報せを受けたとき、まず目にとまったのは、出演者がふたりもいるという点だった。というのも、私は7度が『三月の5日間』(岡田利規原作)を上演するのを観ていたのだが、そのときは一人芝居だった。出演者が2倍に増えている!
撮影:水本俊也
『三月の5日間』と『東京ノート』。おそらくはこの30年の日本演劇界でもっとも多大な影響力をもったであろうふたつの戯曲を立て続けに上演する。その企みの豪胆さもさることながら、出演者の数が『三月の5日間』がひとりで、『東京ノート』がふたりというのは、それ自体意味のあることであると思えた。『三月の5日間』は、本質的にモノローグの作品だ。オリジナル上演においても、複数の俳優が出演するとはいえ、俳優間での会話はほとんど発生せず、ひとりずつ登場してはひとりでだらだらとしゃべるという上演形式が基調となっている。だからそれを一人芝居で上演するとなっても、もちろん俳優はたいへんだろうが、さして無謀なこととは思えない。
一方で平田オリザの芝居とは、なによりもダイアローグの芝居だ。セミパブリックな空間を互いに無関係な複数のグループが行き来する。各グループの中で交わされる日常的な会話の断片が観客の内部でポリフォニックに響き合いなんらかの感慨が生まれる。『東京ノート』をはじめとする平田オリザ作品の多くは、このような性質をもっている。ひとりごとをつぶやく者もいなければ、客席に向かって高らかに語りかける者もいない。言葉は常に、舞台上の別の誰かに向かって吐かれる。だから平田作品にはダイアローグが必要だ。
なるほど『東京ノート』は20名もの登場人物を有する作品だが、それをダイアローグを成り立たせる最小単位であるふたりで上演しようというわけか。このたびの7度の公演は、きっとそのようなチャレンジをしているのだと、私は予想というかなかば確信をして劇場に足を運んだのだった。
けれども上演がはじまるとそのような期待は完膚なきまでに打ち砕かれた。
全然対話がないじゃねーか。
出演者はふたりいるものの、舞台上で発話するのは常にどちらか一方のみで、しかも無言の相手に向かって話すのですらない。原作では複数の俳優に割り当てられていたセリフを、ひとりの俳優がつづけて発話する。具体的に見てみよう。原作の戯曲はこうだ。
三橋 △はい、すいません
平山 どうぞ、どうぞ、(木下に)あの、ここ、よろしいですか?
木下 どうぞ(客席の方を向く)
平山 すいません。(三人に)どうぞ、どうぞ、
三橋 はい。
平山 あの、あらためまして、学芸員の平山です。(他の三人に名刺を配る)
三橋 あぁ、どうも、名刺ないもんですから、
平山 あ、いえいえ。どうも、平山です。
小野 どうも、
三橋 弁護士の小野先生です。
小野 小野です。(と名刺を出す)(平田オリザ『東京ノート』早川書房より)
※「△」は言いながら登場することを意味する
それが、7度の上演ではこうなる。
はい、すいません、
あの、ここ、よろしいですか?どうぞ、こちらに、
あぁ、どうも、どうぞ、こちらに、
すいません。どうぞ、どうぞ。
平山です。
あぁ、どうも、
弁護士の小野先生です。
小野です。
(7度「東京ノート上演台本」より)
場に数人の人物がやってきて、もとからそこにいた人たちと挨拶を交わし、名刺を配る。ここに掲げたのは、さして特筆すべき出来事は起こっていない退屈なシーンだ。にもかかわらず、平田オリザの演劇ではこういうシーンもおもしろい。何の変哲もない日常的なセリフに、精妙に調節された俳優の所作や声色、コンマ一秒までコントロールされた発話と発話のあいだの間が加わったとき、観客は登場人物それぞれの背景や関係性を正しく理解する。平田演劇とはこうした理解の積み重ねの末に、観客の中で焦点を結ぶものだ。目の前で人がしゃべっている。そのこと自体がとてつもなくおもしろい。
それが7度の上演ではどうだ。ひとりの俳優が、本来複数の俳優のものだったはずのセリフをたったひとりで請け負う。率直に言って、上演がスタートしてしばらくのあいだは、これをどのように受け止めてよいのかわからなかった。聞こえてくる言葉は、頭に定着しないまま右から左へ流れていくようだった。忍耐が必要な時間だった。だが開始から30分ほどたった頃だろうか。言葉を受け取るこちらの状態が変化していることに気づく。モノローグの中にあるダイアローグが浮き立ってくるのだった。ただし、それは決して明確な輪郭をもたない。そこにはたしかに対話らしきものはうかがい知れるのだが、どこからどこまでがひとつのセリフなのかは判然とせず、いったい何人いるのかもわからない。
ひとりの俳優が複数の役柄を演じ分けているというわけではない。たとえば落語のように、声色や体の向きで複数の登場人物を明確に区別しながら、ひとり二役を演じるといった仕方でダイアローグが成り立っているのはない。セリフとセリフはどこまでも連続している。にもかかわらず、発話の全体をとらえようとすると、明らかにひとりのものではないことが感じとれる。これは非常に奇妙な体験だった。言葉を発しているのはたしかにひとりのはずなのに、その背後には多数の人間がいるように思えるのだった。
ところでひとりの俳優が話しているとき、もうひとりは何をしているのか。何もしていないのである。いやもちろん、何かはしている。会場内をうろついていたかと思えば、どこかから椅子を運んできて並べはじめたり、会場の外へ出ていったはずがいつの間にか戻ってきて、壁を見てじっとたたずんでいたりと、何かはしている。重要なのは、話しているもうひとりに対して何もしない、干渉しないということだ。発話者はときどき入れ替わるのだが、話していないひとりは、話しているひとりをサポートしたり、代理表象したりするような関係には立たず、独立した存在としてそこにいるようだ。
だから(先ほどまで話していた)無言のひとりもまた、いま話しているもうひとりと同様に、背後に多数の人間を抱えたものとしてそこにいるのだ。ふたりの俳優それぞれの背後に、10人なのか20人なのかあるいはもっと多数の人々が控えている。
撮影:水本俊也
本上演には、ふたりの俳優以外にもうひとつ重要な要素がある。舞台の正面と下手の壁に投影された映像だ。いずれの映像にも、どこかの誰かが撮影した個人写真が次々と映し出される。それらは、アーティストの原田裕規による「One Million Seeings」という24時間にも及ぶ映像作品だという。大量の個人写真を作家が一枚ずつ手に取り眺めるさまが延々とつづく。写真の撮られた年代はさまざまで、内容にも一貫性はない。家族旅行。結婚式。公園で遊ぶこども。クラスメイトとの集合写真……。共通しているのは、どの写真にもたいていの場合、人間が写っているということくらいか。そういうどこの家庭にも眠っているであろう写真たちだ。
映像の中の人がひとつひとつの写真を見る速度は一定していない。ひとつの写真をかなり長く見ることもあれば、さほど時間をかけずに次へ進むこともある。その速度に合わせて私たち観客も写真に写る人々を見たり見なかったりする。
話している俳優を見る。無言のもうひとりの俳優を見る。写真に写っている人を見る。また話している俳優を見る。観客の視線の動きはだいたいこんな感じだ。
つまり私たち観客はこの上演を通して何百人ものどこの誰かもわからない人々を見るわけだが、そのひとりひとりの背後に、ふたりの俳優と同様に、何十人、何百人もの人々が控えているとしたら? このことに思いいたったとき、劇場の中は、恐ろしく膨大な数の人間がひしめいているように私には思えた。
何かね、誘導ミサイルか何かに付ける液晶の、
誘導ミサイルか何かに付ける液晶の何かの部品の何かなんだけど、
だけどさ、かわいそうだよね、うちなんかさ下請けですからね。
だからさ、働いてんのみんなロシアとかの難民の人たちなんですよ。
あれって、自分たちの家族殺す武器とか作ってんですからね。
どっちにも売ってんだから、わかんねぇだろう、そんなの。
いま、ヨーロッパで戦争が起こっている。戦地からはさまざまなものが日本へ避難してきている。その中には美術作品もある。残存点数の多くないフェルメールの絵画が日本に集結しており、とある東京の美術館ではフェルメール展を開催中である。その美術館のロビーが『東京ノート』の舞台だ。ロビーを行き交う人々は、ことさらに戦争について話題にするわけではない。ただ会話の端々から、日本もまた間接的にその戦争に関与していることがわかる。
1994年、いまから30年以上前、架空の東京を想定してこの戯曲は書かれた。平田オリザにとっての「初めて」の戦争である湾岸戦争、そしてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の衝撃が、作劇の着想の遠因になったという。それらは、テレビを通して初めてリアルタイムに日本へと届けられる戦争だった。戦争の姿を、戦地から遠く離れた場所でごく普通の生活を営む人々の声を通して浮かびあがらせたところに、この戯曲の真価があったのだと思う。
どうなのだろう。私たちの戦争はどうなのだろう。あの頃よりも、より速く、より詳細まで、よりエモーショナルに届けられる私たちの戦争は。今日も戦地からメッセージが届く。写真や、映像を伴って。私たちはそれらを読み、そこに映る人々の顔を見る。何が本当で、何がつくられたものなのかを注意深くより分けながら。その人々の背後にいる、無数の人々を想像しながら。
山田亮太(詩人)
詩集に『ジャイアントフィールド』(思潮社)、『オバマ・グーグル』(思潮社、小熊秀雄賞)、『誕生祭』(七月堂)。共著に『新しい手洗いのために』(素粒社)、『空気の日記』(書肆侃侃房)、『TEXT BY NO TEXT』(いぬのせなか座)など。2006年よりヴァーバル・アート・ユニット「TOLTA」で活動し、書籍や舞台作品、インスタレーションの制作を行う。TOLTAで参加した主な展覧会に「あそびのじかん」(東京都現代美術館)、「月に吠えよ、萩原朔太郎展」(世田谷文学館)など。